
昔 聞いたはなしですが・・・
東日本大震災直後、福島県に派遣された一人の警察官がいた
彼は在日ベトナム人の両親を持つ
日本に生まれて、日本のために働きたいと警察官になった
地震発生後
彼が派遣されたある被災地
治安確保のための派遣だった
しかし、治安は安定しており、住民の自警も機能していた
彼は被害者の埋葬と食料分配の手伝いを
多忙な職員に代わって行なっていた
被害者と向き合った初日こそ涙を流したものの
余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ
ただ仕事をこなす毎日となった
ある夜
被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で
9歳の男の子と出会った
寒い夜なのに男の子は薄着だった
食料分配の列の一番最後に独りで並んでいた
気になった彼が話しかけた
長い列の一番最後にいた少年に夕食が
渡るのか心配になったからだ
時間がたつと 少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた
こうだった
少年は体育の時間に地震と津波にあった
心配した父が学校に駆けつけようとしてくれた
しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた
少年は 父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た
海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思うとも語った
家族の話をする少年は、不安を振り払うかのように顔を振り
にじむ涙を拭いながら声を震わせた
悔しさと 寂しさと 心細さと 寒さと 空腹で・・・
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで
少年の体にそっと掛けた
そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した
遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは
受け取った食料パックを 配給用の箱に置きに行った少年の姿だった
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して
少年はこう呟いた
「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」
警察官の彼は少年から顔をそらした
忘れかけていた熱いものが ふと湧き上がってきた
世間にもまれ
髪にも白いものが目立つほどに人生を歩んできた自分が
恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に教えられた
たった9歳の男の子
大切な両親をはじめ家族が行方不明で
心細いだろう一人の少年が
困難に耐え 他人のために思いやれる
幼い時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり
必ずや 強く 復興するに違いない
彼はベトナムの友人に自分の体験した話をした
彼の話が大変な反響を呼び
有り難いことに ベトナムからの義援金が殺到した
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